日ごろのこと、何でも!

何でも雑記

今日は1日中雨で作業できませんでした・・・

 今日は1日中強い雨が続いていました。

予定していた作業は全部中止・・・

納屋の中の作業が出来なくはなかったんですが、工具の忘れ物もあったため、仕事は明日やることにしました。

そんな中、これだけまとまった雨が降っていたので、広範囲に雨漏りを点検し、雨どいの詰まりを取り除く掃除はしておきました!

特に雨どいの弱い部分は、大雨の時でないと分からないんですね。

例えば、雨どいがこんな状態なら、天気がいい時に早めに掃除しておきます。

大雨の時でないと分からないのは、こんな部分の詰まりです。

こういう箇所を、雨水の流れ具合を見ながら、といの内部を長めの針金等を通して掃除してやります。

今日も詰まりがあったんですが、針金で詰まりを取ったら栗のイガとかが沢山流れ出てきて気持ちいいほど流れが良くなりました!

それと同時に、雨どいの水平部分からの水の溢れも解消されました。

さて、明日は汗をかくくらい沢山動きたいと思っています!

怒鳴りつけたのが妻と娘との最後の時間 消えない後悔

 今朝配信されていた文章です。読んで下さい。


<怒鳴りつけたのが妻と娘との最後の時間 10年間消えない後悔>

 10年たっても消えない後悔がある。

宮城県石巻市の消防士(39)はあの日の朝、妻を怒鳴りつけ、仕事に出た。

アパート1階のベランダで顔を紅潮させた妻。

抱かれた1歳2カ月の娘も大声に驚き、泣きだしそうだった。

それが、2人との最後だった。

 内勤2年目、年度末で忙しかった。

「男は働けばいい」

一昔前の気質で子育てや家事はほぼ任せっきり。

小さな衝突が重なり、夫婦関係はギクシャクしていた。

その夜も送別会で遅くなる予定だった。

アイロンがけが苦手な妻が仕事着のほかに宴席用の柄シャツも準備してくれていた。  

「こんなしわだらけのシャツなんて、恥ずかしくて着れねえべ」

よく確かめもせず、いら立ちをぶつけた。

車の窓から見えた妻は何か言いたげだった。  

その数日前、妻から相談を受けていた。

「地震が続くから、実家に戻るのはやめておいた方がいいかな」

「避難は支所でいいよね」

妻の実家は北上川河口に近く、指定避難所は鉄骨2階建ての市役所北上総合支所だった。

「それでいいよ」

素っ気なく答えた。  

妻に暴言を吐いた日の午後2時46分、東日本大震災が起きた。

騒然とした消防本部庁舎で妻からのメールを受けた。

「支所に避難しました」

一安心したがしばらくは会えないと思い、「子連れで大変だろうけど、頑張って」と送った。

 

<いつ戻ってきてもいいように>

 被害状況の把握や職員の安否確認に追われ、現場にも出た。

支所周辺の惨状は無線で知っていたが、誰もが不眠不休で活動する中、自分のことはしまい込んでいた。

メールへの返信がない・・・

「どうしたのかな・・・」

「生きていてほしい」

「もしかして・・・」

1週間後、上司に促されて支所に向かった。

津波は想定された最高水位の2倍を超える13.8メートルに達し、一部屋根も流され大破していた。

「やっぱり、駄目だったんだ・・・」  

身を寄せた市民や職員57人のうち生き残った3人のほかは津波にのまれた。

義姉と2人の子どもは遺体で見つかったが、妻と娘、義母の行方は分からなかった。

福岡や大阪の消防士の仲間が長期の休みを取って、入れ代わり立ち代わり捜索に駆け付けてくれた。

半年間、ヘドロや土砂をさらった。  

陸地は調べ尽くし、義兄と入り江にも行った。

急な岩場を伝っていた時、海に転落。

何とか引き上げられ、顔面や頭の骨折、脳内出血したが助かった。

本当は海で死にたかった。  

床上浸水したアパートは妻と娘がいつ戻ってきてもいいようにきれいに元通りにした。

おもちゃ箱も洗って乾かし、テープで補強した。

1人で毎日泣いた。

心配した上司に「実家に帰れ」と強く言われ、震災から3年後、遺品を手にそのアパートを引き払った。

 

<あの日の朝に戻りたい>

 あの時の青のストライプシャツは妻からの贈り物だった。

葬儀で袖を通し、気付いた。

しわ一つなく、きれいにアイロンがかけられていたことを。  

苦手なことを一生懸命してくれたのに・・・

仲直りのサインだったのかもしれないのに・・・

なぜ、あんな皮肉を言い放ったのか。

「ありがとう」「ごめん」がなぜすぐに言えなかったのか。  

実家に向かうことをためらっていた妻はあの日、愚痴をこぼしに行こうとしたのだと思う。

「ひどいことを・・・」

「俺はくそ野郎だ・・・」

あの日の朝に戻りたい!  

月命日には必ず2人が眠る追波湾を望む支所跡地の慰霊碑を訪れている・・・

災害から多くを学びたい

 東日本大震災からちょうど10年目となりましたが、特に大切な人を亡くされた方の気持ちは全く癒えていないことが分かります。

 

 この2011年の大震災のあとも、2012年5月栃木茨城の竜巻、2014年8月広島の豪雨、2014年9月木曽御嶽山の噴火、2016年4月熊本地震、2017年7月九州北部豪雨、そして2019年10月台風19号による東日本の豪雨。

私たちは休みなく大きな災害に見舞われていることを改めて思い知らされます。

特にこれからは、温暖化による豪雨、竜巻、台風といった災害は多発するだろうと言われています。

今後の災害に備えて、自分自身はもちろん、身の周りの人たちも守れるようになりたいと思っています。

故郷が消えてしまうということ

 明日3月11日で東日本大震災から10年になります。

あの大災害で故郷を景観と共に失ってしまわれた方々の心痛は、とても言葉では言い表せないものだと思っています。

 

 自分のことになってしまうんですが、ちょっと書かせて下さい。

自分は、父の仕事の関係で北海道夕張市鹿島町に住んでいたことがあるんです。

小学校2年生の時にはそこから北九州に引っ越してしまい、それから長い年月が流れました。

そして、今から10年ほど前のある時、ふと、このふるさとがどうなっているのか調べたくなったんです。

もう50年以上前のことを。

ネット検索してみると、すぐにたくさんの情報が見つかりました。

なんと、その時の夕張市鹿島町の人口はゼロ!

そして、ここ数年のうちにダム湖に沈み地図から消える運命だと!!

そんな ・・・!

なぜ? どうして? 

自分が通った鹿島小学校は多い時にはひと学年10クラス、町の人口は2万以上あったというのに・・・

 

 この夕張シューパロダムは2017年に完成し、ついに夕張市鹿島町はダム湖の中に沈んでいってしまいました・・・

学校も、公園も、商店街も、鉄道や駅舎も、道路も、郵便局も、病院も、役場も、そしてたくさんの家々も。

 

 夕張市鹿島町は最盛期には人口2万人を超え、夕張岳の麓の自然にあふれる町でした。

しかし、平成9年の人口はおよそ300人までに減り、1998年以降すべての人は立ち退いていってしまいました。

ダムの建設のために移住を余儀なくされたからです。

そして、とうとう地図の上から夕張市鹿島町は消えてしまったのです。

最後は湖の中に沈んでいきました・・・

 自分は、ここ鹿島富士見町に小学校2年生の6月まで住んでいました。

この地にたった1年6か月間しか住んでいなかったのに、その地でのたくさんの思い出は決して色あせることがないんです!

 

 このふるさとのことを思い出して検索したのは、今から18年ほど前でした。

毎晩毎晩、寝る時間も削ってフラフラになりながら自分が住んでいた町のことを検索し続けていたんです。

当時の鹿島富士見町の住宅地図がネット上に見つかり、ついにかつての自分の家も発見できました!

そして、ダム湖に沈む前のふるさとに何度出かけようと思ったことか。

すでに住宅は全部解体されていて雑草と荒れた更地が残っているだけだったのに、誰もいないその場所に逢いに行こうとしていたのです。

その時湧き上がってきた感情は、自分でも全く予期しないとても強いものだったことに驚かされました。

たった1年半しか暮らしていなかったのに。

大切なものが失われる時の悲しみがどれだけ強いものなのか・・・

 その地で生まれて、先祖代々何十年も過ごしてきた方々がふるさとを失う悲しみは、自分の体験とは比べ物にならないほど大きいものだろうと思ってしまうんです。

卒業、本当におめでとう!

 この信じられないような1年間を、耐えて、乗り越えて、そして元気な姿を私たちに見せて卒業してくれました!

若者のパワーは凄いと改めて感じさせてくれましたね!

まだ時間はかかりそうですが、春の訪れとともにこれからが皆さんが真に活躍できる日になってくると思っています!!

 

 さて、若いうちはあまり考えないかもしれませんが、特にこれからのストレスの多い社会の中では、体と心を上手にケアしながら生活していくべきだと思っています。

また、真に大切なもの、そして守らなければならないものについて、ここにきて私たち全員でじっくりと考える必要が出てきたのではないかと感じています。

自分も、これらのことを一生懸命考えながら、必ず実践していこうと思っています!

お互い元気に進んでいきましょうね!

 

限りなく青い空に 心ふるわせ

自由をかける鳥よ 振り返ることもせず

勇気を翼に込めて 希望の風に乗り

この広い大空に 夢を託して

スギ、ヒノキ花粉飛散の今後は?

 今年のスギ花粉、ヒノキ花粉の飛散は今後どうなっていくのか調べてみました。

先週6日(土曜)は非常に多かったようなんですが、自分は油断していたために酷い症状が一気に出ました!

その日は長時間作業していたんですが、作業中は暑くてマスクを外していたんですね。

マスクを着けていれば自分は症状をかなり抑えられるんですが。

 さて、今年のスギ花粉の飛散は、急に気温が上がったこともありピークが早めに来るようなことも聞いていました。

で、調べてみたんですが、やはり落ち着くのはもうちょっと先のようですね・・・

 

3月9日(火)~3月15日(月)のスギヒノキ花粉飛散予測です

4月までの飛散ピーク予測です

緊急事態宣言の期限の発表に一喜一憂しない方がいい?

 先日、緊急事態宣言の期限が2週間延長になり、今のところ3月21日が期限ということになっています。

いったん延長されたんだから、沢山の方が困っているこの状況で21日の期限をまた再延長とかはもうないだろうと自分も最初は思いました。

でも、これからが年度末新年度の人の動きや交流がとても多くなる時期なんですから、楽観視なんて全く出来ませんよね?

例えば、21日に緊急事態宣言は形だけ解除されて、生活の制限等が改めて確認されるとか?

どうなるかは分かりませんが、今のところまだ希望的観測は持たない方がいいと思っています。

 https://www.tokyo-np.co.jp/article/89744

ただ、大局的に見れば、感染数は明らかに減少してきているようですね!!

給湯器周りの修理完了!

 先週の続きを早速始めました!

手の届かない壁の内部を通してケーブルを2m弱手元に手繰り寄せるために、園芸用に使う緑色の細い棒を用意しておきました。(150円くらい)

これの先端にケーブルをビニールテープで繋げてみましたが、この方法で上手くいきました。

こうやって写真右上の台所壁の方へケーブルを引っ張っていきます。

ケーブル通りました! これで台所へのリモコンケーブルの配線は出来ますね。

あ、説明が逆になりましたが、ケーブルを通す前にケーブルが通過する部材を通しておくことを忘れないようにします。

こんな感じですね。

こういうポイントを良く忘れて失敗するんですが、忘れてもすぐにやり直しが効くんで大丈夫。

次の浴室への配線は距離が短いので楽です。

そして、2か所への配線が終わったら、それぞれの場所のリモコンが動作するか確認します。

台所用ユニットは、

浴室用ユニットは、

どちらのユニットで電源オンにするかで、優先権が決まるようになっているんですが、この動作も含めて正常でした!

次はリモコンユニットを元通りに固定します。

特に浴室では、シリコンシーラントで防水処理も行って固定します。

次はケーブルを引き込んだ壁面の処理です。

板とターミナルボックスを、前回壁に固定しておいた木片に写真のようにビス止めして、ケーブルは後日メンテナンスしやすいようにやや長めに配線しておきます。

ケーブルの余った分は結束バンドで縛っておくとスッキリします。

また、ターミナルボックス内にもケーブルを多少ですが丸めて入れておけるので、壁の中のケーブルの張り具合も調節できます。

壁の中のケーブルは、上部の方を配線しておけばネズ君に齧られずに済みます。

今回齧られていた配線はどれも床面に近いネズ君の通り道になりそうな箇所でした。

それから2系統それぞれにスイッチを配した電源ケーブルですが、1本は給湯器本体、もう1本は給水管の凍結防止用ヒーターの配線です。

このヒーターへの配線もPF管を通すようにやり直しました。

ケーブルの接続箇所の関係でPF管の端が上を向いてしまうので、管の端に防水のためのシリコンシーラントを充填しておきます。

次は、壁面の補修作業です。

大きな穴を開けた壁は、物置部屋との境なので、セメントではなく余っていたセッコウを使うことにしました。

穴の掃除をしたあと、セッコウが密着するよう穴を水で濡らしておきます。

セッコウを少量の水で練って穴に充填していきます。

ヘラと指先両方使わないと細かい部分が上手くいきません。

この後、物置部屋から外部の給湯器への穴を改めて良く見てみると・・・

ん?

栗のイガか何かのゴミ?

あっ! ネズミだっ!

間違いないようです。

この前給電線を齧って感電した子でしょう・・・

もう動いていませんが、すき間が狭く出すことが出来ません。

さて、まだ新しいネズ君の通り道になるかもしれないので、この穴も塞いでおくことにします。

セッコウより強度がある速硬セメントが余っていたのでこれを使いました。

外部に面した方はシリコンシーラントで埋めます。

今日は、作業がほぼ完了してから帰れます!

 

次回ですが、まだまだ色々とやることはありそうです!

調子に乗って作業していたら・・・

 天気も回復し、一時青空も広がりました!

さすがにソメイヨシノはまだでしたし、冬眠明けの蛙も見かけませんでしたが、あちこちに色とりどりの花が開き、鳥も嬉しくさえずっている感じでした!

自分もウキウキしながら、家の中、外と作業を続けていました。

作業中にずっとマスクをしていれば良かったんですが・・・

夕方ごろ、突然くしゃみ、鼻詰まり等の症状が次々に出てきました!

今も大変なので、修理の様子は明日報告します・・・

「やってから」が出来ない時も・・・

 「やってから後悔せよ」というのは、失敗を恐れて行動をためらっているのではなく、まずは行動しよう! ということですね。

もちろん、行動したあとに「ああすれば良かった! こうすれば良かった!」ということは始終あるんです。

でも、何もせずに後悔だけするなんてイヤじゃないですか?

 後悔したとしても、何もせずにした後悔とは別物だと自分は思っています。

 

 ところが・・・

今自分が中々行動を開始出来ずにウジウジしている(笑)ことがあるんです。

古家の畳の間を板の間にリフォームしようとしているんですが、考えなければならないことが非常に沢山あり、難題をどう解決していくのか? どう妥協していくのか?

ずっとすっきりした答えが出ないままなんです。

 

 でも、考えなければならないこと、解決できないこと、妥協しなければならないことなんて、どんな時でも出てくるんじゃないかと思いませんか?

そんな時でも、まずは作業を開始して試行錯誤で進んでいけばいいだけなんです!

自分が今作業を開始できないのは、8畳間(3.6m × 3.6m)の広範囲を一気に仕上げなければならないからなんです。

広いだけならいいんですが、一部だけやり直しとか一部だけ修正とかがほぼ出来ないんですね!

失敗すれば全部やり直しになってしまい、高価なフローリング材を大量に廃棄することになってしまう・・・

今、床に配置する根太だけは必要数買ったんです。

長さが4mもあるので、軽トラをレンタルして自分で運んでくるところまではやりました。

 いずれここに報告したいと思っているので、作業は絶対に自分でやると決めているんですが・・・