日ごろのこと、何でも!

2019年8月の記事一覧

再び、韓国と日本のこと(1)

テレビやネットのマスコミの報道ばかり聞いてきた自分も、「やはり日本は悪くないんじゃないか」とさえ感じていました。

韓国の親日派も含めた知識人の方たちはどう考えているのか?

過去のことも含めて、冷静に語ってくれている記事を見つけました。

客観的にとても色々な事が分かったので、紹介したいと思います!

やはり、過去の色々な経緯を含めて客観的な事実を知っておかないとダメなんだなと、強く思いました!

 

<韓国人の本音はどこにあるんだろうか ~ 現地で聞いてみた(少し古いけど)>

今回紹介する内容は2013年11月に韓国で現地取材したもので少し古いのだが、今でもあまり状況は変わっていないだろう。

皆、正直に語ってくれているのでそのまま紹介したい。

 

◇20~30年で一番の関係悪化

【セヌリ党(保守系、現自由韓国党)国会議員】

 現在の韓日関係はこの20~30年で一番悪いですね。

その原因は、両国に責任があると思います。

相手にとって自分がどれだけ必要かの認識が不足しています。

お互いよい関係にしなければなりません。それなのに、改善の可能性が見えてこないのは残念です。

戦略的にみても中国の浮上に対して、安全保障の重要性や経済的なものを考えていないのが心配です。

過去の問題に落ちてしまい、現在と未来について悩むことを失っていると思います。

徴用工問題は(日韓請求権協定を結んだ)1965年に済んだというのは基本的には共感します。

ただ、法的には終わったとは思いますが、国民の気持ちは終わっていません。

創意的な努力が必要です。韓国政府も協力した共同基金などが考えられます。

政府は被害者の要求を無視したのだから、協力すべきです。

日本政府は慰安婦問題と徴用工問題を一つにしますが、それは一つにしてはいけない問題です。

「(慰安婦問題は)請求権に入っていない」ではなく、誠意ある措置を取るべき問題です。

元慰安婦56人は平均88歳。時間がたてば亡くなる。政府は生きている間に補償できるのに、しないのは理解できません。

彼女たちが救済資金を基金(財団法人女性のためのアジア平和国民基金)から受け取らなかった理由は、本当に日本が謝罪していないからではないですか。

当時、受け入れなかったのは、日本の真心がなかったからというのに同感です。

もちろん、私は知日派の一人です。

両国の問題の中で、一番解決が容易なのは、慰安婦問題だと思います。

 

◇安倍首相は痛い歴史を知らない

【元金大中大統領経済顧問(左派)】

 日韓の問題はデリケートです。

双方が平行線をたどるしかない、解こうとする努力がなかったのです。

その努力は大事で、徴用工被害者には恨みがあります。

日韓基本条約で終わったというのはよくない。

日本がドイツのように対応できていないのは惜しいことです。

これまで、政経分離だったが難しくなった。

私は親日本国民派という人間だと思って聞いてください。

そういうふうに思いながらも私は、徴用工や独島(竹島の韓国名)に対しての考えは普通の国民と変わりません。

独島は、日露戦争のときに主人のいない島として強制的に日本領にしてしまった歴史があります。

安倍晋三首相は(韓国の)痛い歴史を知りません。

植民地時代は早婚の時代でした。

14~16歳で結婚しないと慰安婦にされるということです。

日本は結婚の制度まで変えてしまった。

それは、われわれ以前の世代は皆知っています。それだから、日本の政治家への不信はなくならないのです。

植民地時代にインフラを整えたという人がいますが、不可解です。

日本の指導者は間違った方向に導いていますよ。

私は、日本の政治家がそんなことを本気で言っているはずはないと思っていました。

しかし、今では本気なのだと思うようになりました。過去の侵略を正当化している。

集団的自衛権という日米同盟の中に韓国を帰属させようとしているのではないかとすら思ってしまう。

米国の世界戦略では、日本に東アジアを任せようとするのではないか。

日本の指揮下に韓国を置くのではないかと思っています。

対中国を考えてそうするのは、間違いだと思います。


◇反日記事は扱いが大きい

【元民主党(現・共に民主党)国会議員(重鎮)、盧武鉉政権で鉄道公社社長(左派)】 

 日韓関係をよくするためには、あまりにも当たり前ですが、過去の誤った歴史への謝罪と適切な言葉、行動が一番の方法だと思います。

よく例えるのは、ドイツの戦後謝罪ですが、日本的な表現をすれば経済的な不安を感じているのではないかとも思います。

賠償のために謝罪を要求しているのではありません。

はっきり言ってしまえば、賠償と謝罪は分離してしまってもいい。

もう一つは天皇制。最終的に天皇に責任が及ぶと考えているのではないでしょうか。

それが日本が謝罪できない理由です。

 

【韓国外国語大学日本語学科学生(日本滞在経験あり)】

 反日運動については報道の力が強く、個人が真に受けて失望している気がする。

(日本から)韓国に転校してきたときに、まず「独島はどちらのもの」と聞かれ、中1の私は「よく分からない」と答えた。

「じゃあ韓国と日本のどちらが好き」とも聞かれた。「同じくらい」と答えました。

反日の記事は大きく取り上げられて、良い記事は少しだけです。

友人は日本に行ったことがないので、間接的に知るだけです。反日記事の影響を受けやすいんです。

韓日の民間交流というのはたくさんあります。

個人で付き合うと悪い関係になりません。歴史や政治を取り除くと仲良くできます。

朴槿恵大統領が日本(の首相)と会わないのは考えがあるのでしょうけど、あのような(会わないとの)断言をしてしまうのは、個人的に問題だと思う。

避けているだけで話し合わないのは駄目だと思う。

 

◇総論で謝り、各論で弁明する

 【保守系雑誌「月刊朝鮮」編集長(右派)】

 日本は、韓国が謝れと言い続けることに不満があるようです。

それも一理あります。

しかし、韓国の国民は日本がはっきり謝っていないと考えているのです。

慰安婦問題の責任をちゃんと取る。韓日条約を持ち出さないことも大事。

そういうところで真心が伝わるものです。

日本は総論では謝るけれど、各論で弁明すると考えられています。

植民地時代に起こったことだから謝るべきです。

いろいろな意見があるのは分かるが、村山談話、河野談話を否定する発言が多過ぎる。

歴史の問題については、慰安婦問題はまだ解決しやすい。

例えば、関東大震災後のデマで多数の在日朝鮮人が虐殺された問題や、1950年からの(北朝鮮への)帰国事業に協力したことなど問題はたくさんある。

あれは、日本中から韓国人を追い出すために行われたものです。

今の韓日問題は深刻に考える必要はありません。

輸入禁止の問題などがありますが、民主主義国家同士だから戦争になることもありません。

考えの違いは、侵略をされたことがない国とたくさんされた国の違いです。

中国からの侵略では国は残った。しかし、日本の時は国がなくなった。それを恥だと思っている。

その違いがある。

韓日の関係では、安保問題が大事です。

しかし、韓国側には警戒心があります。というのも、朝鮮半島に日本の影響力が大きく伸びるのは困るのです。

それが国民の気持ちです。それは、植民地以降、変わりません。

マスコミも、韓日軍事協力が安保問題にプラスになるとは書けません。そう書いてしまうのは、言論人として危ないことです。

反日というよりも、警戒をしているということです。

 

(2)に続く

終戦の日 火垂るの墓

1945年8月15日は、第二次世界大戦の日本の終戦の日と定められています。

今日のニュースで、野坂昭如さん(1930~2015)の戦争体験に基づいた小説「火垂るの墓」の記事が載せられていました。

「小説火垂るの墓」の記念碑を、舞台となった兵庫県西宮市満池谷に設置しようという運動が起こっているそうです。

 

ジブリのアニメ「火垂るの墓」は皆さんもう観ましたよね?

自分は、もう、あのアニメ全部を直視することはとても出来ません。

あれほど悲惨な描写はないと思います。

あの小さな兄妹に、あれほど残酷な現実が課せられるとは・・・

前任校の平和学習の時間に、「火垂るの墓」を観せる時間の監督に当たった時がありました。

自分は、もう一緒には観れないし、清太と節子の辛そうな声が聞こえてきただけでも、もう耐えられない・・・

でも、その時間が終わって落ち着いてから、ストーリーを思い起こしながら考えました。

今の自分はどう思い、どう考えるのかと。

まず、生きていけなかったあの2人の無念さや悲しみはもちろんですが、

戦地で亡くなった父、空襲で命を落とした母は、どれほど無念だっただろうかと、今更ながらに気づきました。

自分たちが死ぬという事は、子供たちを守ってやれなくなる訳ですから。

霊になってからでさえも、胸が張り裂けるような気持で我が子たちを見守っていたような気がしてならないんです。

もう一つ。

兄妹2人の周りの人たちの対応を良く見ると、決して冷たくはないという事にも気付きます。

現実的には、自分たちのことで精一杯でしょうから、そんな中であの2人にしてやれることは限られているはずです。

そして、仮に自分があの場面に居て、どれほどのことをしてやれるのか? と最近考えるようになりました。

「お前、本当にあの2人を自分の家族のように守れるのか? 口だけなら何とでも言えるんだぞ!」

と、あの作品に問われているような気がするんです。

もちろん、「守ってやりたい!」と言いたいし、実際に行動したいという気持ちは強く湧いてくるんです・・・

もう20年も前の、心温まる思い出

3つ前の勤務校で山岳部顧問だった当時、

エクササイズスピードウォーキングというトレーニングを自分も一緒にやっていました。

長時間の単調なトレーニングなので、不評だったんですが。(笑)

夏休み、そのトレーニングの際に、目的地でレクをやらせれば気分転換にいいだろうと思い、武蔵高萩駅の近くの商店で「プラスチックバットとカラーボール」を求めました。

こんな感じのものが欲しかったんです。

「部活の練習中のレクに使いたいんです」と、事情も説明しました。

ところが、そこの店ではその手の遊び道具(子供のおもちゃ)は扱っていないようでした。

普通なら「置いてないよ」で終わりなのですが、このお店は違いました。

「ちょっと待ってよ・・・」

ご主人は奥に入って行き、「おーい、バットとボールあったっけ?」「ないよなぁ・・・」

「それじゃあ」と、奥から古い金属バットと軟球を持ってきたのです。

自分は最初、どういうことなのか良く分かりませんでした。

「これ使っていいよ」

何と、知りあいでもない自分にバットとボールをくれる、と言うのです!

「えっ、でも・・・」

「いいんですよ。もう子供も大きくなったから」

「えーっ! じゃあ、しばらくお借りするという事で ・・・」

「ホントにいいんだよ。持ってって」

自分は感激して、お礼を言ってバットとボールを受け取りました。

こんな人情味のある経験をしたのは、忙しかった当時、久々だったように記憶しています。

そう言えば、その年の5月連休に青森に山スキーに行ったんですが、

「ここの人達はとっても温かい ・・・ !!」と、昔懐かしいような気持ちを強烈に感じた事がありました。

坂戸の西大家の周辺でも、豊かな自然と一緒に「温かいもの」を感じる事が良くありました。

「温かい心」に感じ、そのような心を伝えていけるようになれたらいいな、とその時強く思ったことを覚えているんです。

お盆の迎え火の前に、お墓参り

昨日は所沢市山口の義父のお墓へ、そして今日は入間市寺竹の母のお墓へお参りしました。

迎え火で先祖の霊が各家庭に行ってしまう前に、つまり霊がお墓に居る時にお参りした方が良いと聞きました。

今年の盆入りつまり迎え火の日は今日13日なので、ぎりぎり間に合ったでしょうか。

義父の墓所から見える西武ドームと青空

母の墓所からの青空と雲

霊が迎え火に導かれていくのは、今夜暗くなってからなんだと思っています

 

帰り道の茶畑で姿を現した巨大な雲

東側には、ちょっとだけ秋を思わせる雲も見えました

お昼をかなり過ぎてしまいました。久しぶりに家の近くの蕎麦屋さんに行きました。

とっても正統派で、さりげなく、けれどとても美味しい蕎麦屋さん! 当然、盛り蕎麦がとってもいいんです!

自分はごまだれつゆの大盛り蕎麦にしたんですが、お好みでと、ラー油が付いてきたのにビックリ!!

三口目くらいに、つけ汁に恐る恐るラー油をちょこっと・・・

これがすごく意外なことに、とっても美味しかったんです! 続けてドンドン入れちゃいました!

あ、もちろんいつものように、蕎麦湯も残さずいただきました。

ごちそうさまでした!

雲取山行きたかったけど、近場の低山に登りました

昨日の野辺山小淵沢旅行の疲れで、今朝は早起き出来ませんでした。

寝不足での高速の運転はとても疲れます!

運動した後の心地よい疲れと違って、イヤな疲れなんです。

そして本当に残念だけど、今年の盆休みの週は台風の影響で天気が悪くなる可能性が高い。

ということで、盆休み中の泊まりの山行はあきらめました・・・

で、今日はのんびりと、日和田山、物見山のピークを踏んで、北向き地蔵まで山歩きしました。

日和田山登山口の有料駐車場を初めて使いました。300円です。

登り始めは10時40分で、雲が多い晴れでした

ツクツクボウシ、ニイニイゼミの大合唱が迎えてくれました...

自分はこの歳になっても、ツクツクボウシが鳴きだすと、夏の終わりを感じてちょっとさみしくなるんです・・・

日和田山山頂(展望台ではなく)からも、空がイマイチでした

高指山にあった大きなアンテナ塔は撤去されたようです。地デジ、スマホの電波はここでは中継しなくなったんですね

物見山へは車道を少し通ります

この公衆トイレも、とってもキレイな水洗式に整備されました!

物見山山頂です。この右側の日陰で大休止しました

北向地蔵に向かう途中こんな張り紙が。ここまでクマが来ているんでしょうかね・・・

北向地蔵です。1786年に栃木県の岩船地蔵尊より分身を譲り受け、岩船地蔵尊と向かい合うよう北向きに建てたとあります

今日はここで引き返しました。

いつもの日和田山展望台です。

 

下山してから、巾着田に行ってみました

ナツズイセンの花に逢いたかったんです

リコリス族には、ヒガンバナ、シロバナマンジュシャゲ、キツネノカミソリ、そしてナツズイセン等があるそうです

9月にヒガンバナでいっぱいになるこのエリアに、もしかして咲いていないだろうか・・・?

一輪も見つかりませんでした・・・

この前、この近くに4~5輪ほど咲いていたんですが。

あきらめて、帰ろうと駐車場近くに来た時に、偶然見つけました!

とっても嬉しかったです!

8月の花だそうですから、照りつける陽射しの下、青空の下で、ナツズイセンの大群生がどこかで見られないでしょうか?